モブな人生
幼少期から今に至るまでずっと、目立たない、日陰の人生を生きてきたと思う。
マンガでいうところの、モブキャラだ。
幼稚園のとき、楽しそうにはしゃいで流行りの遊びをしている同じ組の女の子たちが羨ましくて、壁際に立ってじっとそれを見ていた。
決して、仲間外れにされていたわけじゃない。
「みずいろちゃんも、一緒にやる?」
そう声をかけてくれたのに、わたしはただ首を横に振って隅っこに立ち続けた。
本当は、混ざりたいのに。
一緒に遊びたいのに。
素直になれなくて、ただ、恥ずかしくて。
ぽつんと一人いつまでも、立っていた。
昔、「はないちもんめ」という遊びが流行っていたのをご存じだろうか?
女の子たちが2つの組に分かれて、手を繋ぐ。
歩きながら唄を歌って相手チームの子を取り合う、わらべうた遊びは
「あのこがほしい」
「あのこじゃわからん」
「そうだんしましょ」
「そうしましょ」
この遊びに混ざるとき、何でもないような顔をして歌いながら内心はいつもいつも、怖かった。
わたしは選ばれない側の子。
自分でそう、分かっていたから。
最初に選ばれるのは、クラスで中心にいる明るくて人気者の女の子たち。
目立たないわたしの名前が呼ばれるのはいつだって、最後のほう。
小学校低学年の頃には、もうすでにクラス内でのヒエラルキーみたいなものが出来上がっていて、大人しくて運動が苦手なわたしはいわゆる「人気がない子」だった。
そういう、クラス内での自分の立ち位置みたいなものをすでに悟りながら、気づいてないふりをして過ごす学校生活は苦しかった。
わたしがこの世で苦手なもののひとつ。
それは、飲み会だ。
ああ、この言葉を聞いただけで数々の忌々しい記憶がよみがってくる。
その場をただなんとなく楽しく過ごすための、浅い会話が苦手だ。
何を話せばいいのか、どう振舞えば正解なのかがまるで分からない。
コロコロと、まるでサイコロの目のように変わる話題についていくことができない。
空気を読まなきゃ!と焦るほど、変なことを口走って場が凍る。
会社の飲み会では、どこのグループの輪にも入れずに毎回、透明人間化した。
(仕事中からすでに半透明人間化していたというのはここだけの話。)
飲み会の場になると、もう完全にみんなの視界から消えてしまう。
わたしはここにいるよ!
ときどき、そう叫びたい衝動に駆られた。
だけどそんなことは気にしてないふうを装い、手持無沙汰で飲めもしないお酒をちびちびと飲みながら。
「どうか早くこの地獄の時間が過ぎ去ってくれ」と、いつも心の中で祈っていた。
最近では、公園で小さな子どもを連れている幸せそうな家族連れを見ると、「ああ、自分は今とてもモブだなあ」と感じる。
もしかしたら、自分にはほんの上澄みしか見えていないのかもしれない。
幸せそうな笑顔の裏にはきっと、そこに至るまでの色々な苦悩や葛藤があるのだろうし、キラキラした面ばかりのはずもない。
それでもわたしには、王道を歩いている側の人たちが、眩しくてしょうがないのだ。
「わたしも混ぜて」と、無邪気に言える側の人が。
はないちもんめで、最初に選ばれる側の人が。
飲み会で、当たり前にみんなの輪の中に入れる側の人が。
公園で、幸せそうに子どもを連れて歩いている側の人が。
わたしはそのどれにも当てはまれない、「じゃない」側の人間。
脇役の、モブかもしれない。
でも、それでも。
実はまだ完全には、自分をあきらめてはいない。
人よりも何倍も遅いペースだけれど。
不器用で下手くそ、遠回りばかりの人生だけれど。
それでもあきらめなければきっと、自分だけにしかない内面の光を、いつか放つことができる日が来ると。自分にはその強さがあるのだと。
心のどこかで、そう、信じている。
そんなことを考えながら。
モブはモブなりに、今日も前に進むのだ。(ピース)
