ブログの人格が定まりません
ブログで記事を書き始めてから、およそ1ヵ月半が経過しました。
ですが、いまだにブログでのキャラというか、人格が定まりません。
まず、記事の内容によって主語が変わります。
基本は「わたし」ですが、ときには「あっし」になったり、「わし」になったり、「オラ」になったり…。
そのときの記事の内容や気分によって、一番しっくりくる自分が違うんです。
文体も同じです。
「です・ます調」で穏やかに語りかけたい日もあれば、「だ・である調」で自分の世界に入り込み、言い切りたくなる日もある。
しっとりと静かな気分の日もあれば、ブログの中で拳を振り上げて暴れまわりたいくらい衝動的な日もある。
どの自分が出てくるのか、そのときにならないと自分でも分かりません。
よく、「ブログではキャラを設定するのが大切」と言われています。
キャラに一貫性がある方が読者さんに覚えてもらいやすく、応援してもらいやすい。
だから、一度決めたキャラはブレさせない方がいい、と。
でもそれは、本当にそうなのでしょうか。
確かに、人間性そのものがコロコロと変わる人は信用しづらいかもしれません。
でも、わたしなら。
ひとつの面だけでなく、色々な面を持った人が好き。
「ああ、この人にはこんな一面もあるんだ。」
知るたびに新鮮な気持ちになるし、自分には飾らない姿を見せてくれたんだと思うと、なんだか嬉しくなります。
そうやって少しずつ相手を知っていくことが、信頼につながっていくのではないでしょうか。
それに、自分でもまだ出会ったことのない自分に出会える可能性を、自分で閉ざしてしまうのはもったいない気がするのです。
普段は人目を気にしがちな性格だからこそ、ブログの中では自分に制限をかけたくない。どんな自分にも、OKを出してあげたい。
そう考えていたとき、ふと思いました。
わたしは自分のことを「ブログでの人格が定まらない」と思っていたけれど、果たして本当にそうなのだろうか?
もしかしたら、変わっているのは主語や文体、その日のテンションという表面的な部分だけなのかもしれないな、と。
「わたし」も、「あっし」も、「オラ」も。
どれも同じ景色を見て、同じように「本当の自分って何だろう」と考えている。
少し自虐的に自分を観察するのが好き。そして、いつも自分らしさとは何かを探し続けている。
根っこの部分は、案外変わっていませんでした。
水彩画は、一色だけでは完成しません。
色がにじみ、重なり合い。ときには思いがけない色が生まれ、最終的に1枚の絵になっていきます。
人もきっと、同じ。
どれか一色だけをその人と限定することはできない。
その日その日で表に出てくる色は違っても、どれも本当の自分。
その全部が重なり合って、「わたし」という1枚の絵になっていくのだと思います。
だからわたしは、どの色も捨てたくない。
このブログというキャンバスに、様々な色を筆で落としながら、まだ見たことのない景色を描いていきたい。
もしかしたらそれが、ブログタイトルを「透明な水彩」にした理由なのかもしれません。
